物語は作者のものなのか

近ごろドラマで過去にヒットしたものの続編が作られることが増えているような気がする。「おっさんずラブ」「結婚できない男」「ハケンの品格」「半沢直樹」また「ドラゴン桜」も放送予定だとか。


もうやめてくれと思ってしまうのは続編はおもしろくないことが多いから。「LIAR GAME -再生-」はファイナルステージできれいに終わったのになんのために再開したのかよくわからず、神崎直でない新ヒロインにずっとイライラしていた。「逃げるは恥だか役に立つ」は何回も見直すほどおもしろかったし、二人ならどんな未来でも乗り越えられるというラストもよかった。なのに新春スペシャルは何度も途中で見るのをやめようかと思ったし、コロナが終わった後の世界という非現実的なラストにはがっかりした。


おっさんずラブ」は後半からはまって映画もそこそこ楽しめた。だがin the skyは見たという記憶を消し去りたいくらいひどかった。in the skyの春田と黒澤部長は顔と声が同じなだけの別人。「結婚できない男」は桑野が周りから変人扱いされながらも好意をもたれている感じがよかった。なのにまだ結婚できない男では桑野がいじられてバカにされているかのような不快感があった。最終話で桑野が告白する理由も結ばれる相手にも納得できない。「ハケンの品格」はいろんな資格を持っている大前春子が力技で問題を解決していくのが面白かったのに、続編では活躍が少なく資格もつまらない。「半沢直樹」は悔しがる大和田に土下座させるところがよかったのに、続編で大物政治家がさっと土下座して逃げるのにはイラッとした。


続編がおもしろくないことで、元の作品を見返して改めて良さを実感するというメリットはあるが。おもしろくない続編を作るならそっとしておいてほしいという気持ちもある。元の作品がきれいに終わっているならなおさらだ。


漫画でも似たようなことが起こっている。「鉄鍋のジャン」はジャンとキリコの色気のない対立関係がよかったのに、続編で二人の子どもの話なんて見たくなかった。「いちご100%」は失恋したけれども夢をつかんだ東城が好きだったのに、続編で真中に似た別のやつに惹かれるところなんて見たくなかった。子どものころ読んでいた少女漫画の主人公が結ばれた相手とベッドインする同人誌を作者が書いているなんて知りたくなかった。


二次創作ならいいのだが作者本人が書いているというのが受け入れられない。「逃げるは恥だか役に立つ 新春スペシャル」や「まだ結婚できない男」は脚本家もメインの役者も変わってないのにどうしてああなった。


自分は二次創作なら原作であまり絡みのない二人が恋人どうしになっている話も楽しめるタイプなのだが。よく物語制作においてキャラが勝手に動き出すという話を聞いたことがあるが、自分が好きな物語のキャラクターは自分の頭の中でも勝手に動いている。だから頭の中のキャラクターとずれがあった時、二次創作なら解釈違いとして受けとめられる。だが作者が書いたものだとそれが本物になってしまうのでなんかキャラに裏切られたような気持ちになる。


漫画のアニメ化や映画化は二次創作だと思って見るようにしているが、それに原作者が関わっているというパターンだとまた複雑な気持ちになる。「カイジファイナルゲーム」とか「約束のネバーランド2期」とか「ひぐらしのなく頃に業」とか。おもしろくなさすぎて過去におもしろい物語を創った原作者と同一人物だとは信じられない。


まあドラマや映画やアニメはたくさんのスタッフの共同制作物だからまだ納得できるが、漫画はアシスタントがいるとはいえ作者が主導で書いているのではないのか。長期連載している漫画だと主人公の性格や絵柄がだんだんと変化していったりすることはあるが。


中学生のときに新刊が出るたびに本屋に買いに行っていた「幸福喫茶三丁目」という漫画がある。その漫画の続編が10年ぶりに発売されたのはうれしかった。絵は昔のほうが好きだったというのはあるが、キャラは昔のままなのがよかった。本編で匂わせながらも回収されてなかった話も描かれていたし。結局は続編が面白ければなんの問題もないのかもしれない。


法律上では物語はそれを書いた作者のものであり、物語の読者のものではない。自分がいくら続編はやめてほしいと思っても口を出す権利はない。できるのは続編を見ざる聞かざるするくらいである。それでも作者自身の希望で続編を作るのならいいと思うが、視聴率や売上部数などを上げるために続編を作らされているのが透けて見えるとうんざりする。数字のためではなく物語をきちんと終わらせるための続編が増えてくれるといいなと思う。