水不足が怖い

今年の夏はあまり雨が降らなかったため水不足がよくニュースになっていた。そのニュースを聞くたびにいつ断水のお知らせが来るのかと、気が気じゃなかった。1994年の大渇水では断水期間が4ヶ月近くに及んだらしいし。


雨の日よりはもちろん晴れの日のほうが好きなのだが、雨が降らない=水不足の危機になってからは雨の日を心待ちにするようになった。祈って天気を晴れにする超能力より、歌って雨を降らせる超能力がほしい。


水不足がいわれるのは今年に限った話ではない。雨が振らない日が続くとしょっちゅう水不足が地元のニュースになる。その理由は、わが町のダムが人口規模に比べて小さすぎるからだ。


わが町のダムは昭和30年代に建設された。その時に見立てた市の将来人口が、現在の人口マイナス13万人ちょっと。そこから予想以上に人口が増えたため、現在の人口規模に比べてダムが小さくなってしまったということである。結果、わが町のダムは今の人口の50日分の水しか溜めることができない。


人口が減れば水不足は解決するのだが、わが町の人口はまだあまり減っていない。少子高齢化によって日本の人口はだんだんと減っているとはいっても、わが町から13万人減ってダムの大きさに見合った人口規模になるのはまだ先のようだ。


今の町に引っ越すまでは水不足を気にしたことなんてなかった。同じ県でも水資源が豊富な市町村とそうでない市町村がある。となり町では水不足なんて全くニュースにならない。うらやましい限りである。となり町は市町村合併のときに水を分けるのが嫌だから合併しなかったという噂もある。


これだけ水不足が話題になるので町もなんとかしようとはしているみたいだが、いまだ解決はしていない。


まず県内にある他のダムから分水をするという案があるが、水路を引いたりする経費負担に耐えられないと。海水の淡水化についても検討しているが、コストが高いためあまり進んでいない。


いざというときに近隣の市町村から水を分けてもらう案については、水資源の豊富な市と協定を結ぼうとしているがまだできていない。未利用水を分けてもらうために協議を続けてはいるが、ダム建設の際に住民が立ち退きなどの犠牲を強いられたとか「水の都」を守るなどの理由で反発しているらしい。


ダムは県営だから立ち退きさせられたことにわが町は関係ないし、使用目的の決まっていない利用可能な水があるのに「水の都」を守るために分けたくないというのは意味がわからない。同じ県内なのに助け合うこともできないなんて。こんなだから世界から戦争がなくならないんだ。


まあ他市町村を責めても仕方がない。自分たちが使う水は自分たちでまかなうのが基本である。そのためにできることが節水だ。ダムの水を増やすことができない以上、使う水を減らすしかない。


その結果、わが町は全国でも屈指の節水型都市になっている。1993年には1人あたり1日358リットルの水を使っていたが、2019年には284リットルに減ったとか。そのために浄水場では水の量に合わせて水圧を調整。町は雨水タンクやバスポンプ付き洗濯機、節水型トイレ、節水シャワーヘッドの購入に助成金を出したりしている。


わが家でもバスポンプで風呂水を洗濯機に入れて使っている。水は限りある資源なので大切に使うに越したことはない。蛇口をひねるといつも当たり前のよう出てくるため、ありがたみを感じることは少ないが、水不足になると水の大切さがよくわかる。人間が生きていくために必須である水を大切に使っていきたい。