葬式に行ってきた

親戚の訃報を聞いて葬式に参加してきた。故人は自宅で亡くなっており、一人暮らしで事件の形跡はなかったため死因は急性心臓疾患とされたそうだ。コロナが流行り大雨で死傷者も出ているこのごろに、全く関わりなく平均寿命を超えて死を迎えられたのは幸運なことかもしれないと思った。


葬式は家族葬ですることに。家族葬とはごく近い身内だけを集めて行うお葬式のことだ。葬列する人数が少ないと広い会場を借りる必要がなく、食事や引き出物の数が減る。だが、坊さんへのお布施や棺桶代など必要なものが大きくは変わらないため、一般葬と比べてそんなに安くなるわけではない。


1日目の夜にお通夜、2日目に告別式と2日かけて行う。葬祭会場にお風呂や宿泊スペースがある場合、喪主や縁の深かった人はご遺体とともに一晩過ごすことができる。その一晩は線香を絶やさないようにするという習わしがあり、昔は交代で寝ずの番をして線香を交換していたそうだ。最近はうずまき状で6時間はもつ線香が備えられているため、夜がんばって起きておく必要はない。


ご遺体に会いにきた人は葉っぱに水をつけて唇を湿らせ、線香を立てる。唇を湿らせるのに葉っぱじゃなくてガーゼを使ったり、そもそも唇を湿らせなかったり。地域や宗教によっていろいろなやり方があると聞いた。


お通夜の前に看護師として働いている親戚が清拭をしてくれた。遺体をきれいにするには業者に依頼して湯灌をしてもらうという方法もある。少し手伝ったときに遺体の冷たさと固さに驚いた。人間の体って生きているから温かく柔らかかったのか。お湯をかけて温めたタオルで拭いていくと少しほぐれてきたかのような気がした。


お通夜では短めの読経を聞きながら焼香をし、一部を全員で復唱したりもする。そういう宗派らしい。椅子に座ってキャスター付きの焼香を回すというシステムは時間もかからないし、他の親族に余計な気づかいをしなくていいのがよいと思った。坊さんが帰ったら食事をして解散。


次の日の朝、布団に寝かせていた遺体を納棺する。まず唇を湿らせる、これが末期の水というものらしい。次に濡れたタオルで遺体を拭く。そして手や足に布カバーをつける。額につけるイメージのある三角のやつは枕元におくだけ。胸元にはシールの六文銭を入れる。遺体を棺に入れたら、故人が好きだったものを入れていく。タバコ、ゴルフの帽子、ビールは紙コップに入れてラップをした状態で。最後に大量の花を棺に入れて終了。


告別式は長めの読経を聞きながら焼香をする。焼香のキャスターは2回まわってきて、通夜と同様に全員で経を復唱した。終わったら速やかに火葬場へ移動。棺を運ぶ係、写真を持つ係などは1列に並んで歩いて右に3度回ってから霊柩車に棺を乗せる。死者に帰ってくる道をわからないようにし、迷わず成仏させるための儀式らしい。火葬場への行きと帰りで違う道を通るというのも同じ理由だと。


火葬場に着くと広めの部屋に棺が運ばれ遺体と最後のお別れを。棺の窓から顔だけ見える状態で焼香をする。終わったら焼き場へ棺を入れ喪主がボタンを押すように促される。死体とはいえちょっと死刑執行人のような気分になるのでうれしくない。他人にされるよりは家族にという配慮なのかもしれないが。昔は焼き場に入れる前に棺をクギで打ちつけていたが、子どものトラウマになるのでやめたそうだ。確かに棺から出られないように閉じ込められて焼かれるというシチュエーションは想像するだけでぞっとする。大人でも怖い。


昼食に準備された大きな弁当を食べて一時間半くらい待つと焼き上がったことを知らせる放送が。部屋に移動して骨壷に骨を入れていく。全部は入らないので足の方から順番に選別して。最後に喉のところの蝶の形をしたような骨を入れる。終わったらとりあえず解散で、近しい親族は骨壷と写真と位牌を故人の自宅へ持って帰り祭壇作りをする。


祭壇作りは主に葬儀会館のスタッフの指示に従う。花瓶を置き色鮮やかな灯籠を置くと華やかになった。そして四十九日や初盆などこれからの儀式の説明を聞く。これが予想よりだいぶ長かった。朝8時半から始めたのに終わったのは15時過ぎで疲労困憊。近しい親族はまだこれからやらなければならない手続きが山ほどある。とりあえず今日はもう終わりということでゆっくり休むことに。いい葬式だったと思う。