マナーって誰のため

一人で過ごす時間が多いとあまり気にすることはないが、他人と関わる機会が増えると急に意識するようになるもの、それがマナーである。そもそもマナーとは人と人との関わりで当然その場面でしかるべきとされる行儀・作法のことであり、お互いに気持ちよく生活するために作られたものである。


昔のヨーロッパではテーブルを囲んで食事をするときに、みんな手の届く範囲にある皿から手づかみで食べ物を取り汚れた手をテーブルクロスでふくなど、一人一人が自由にふるまっていた。だがそれではお互いに不快な思いをするし、衛生的にも好ましくないと多くの人が考えるように。そこで食べた肉の骨を皿に戻してはいけない、テーブルやその周囲に唾をとばしてはいけないなどのきまりが作られた。それがいつしかマナーと呼ばれるようになったという歴史がある。


だがそんなマナーを人にマウントをとるためだけに悪用する輩がいる。あの人はマナーがなってないから育ちが悪いとか、常識がないとか、親の顔が見てみたいとか。マナーにはビジネスマナーのようにメジャーなものもあれば、その家庭でしか使われてないようなマイナーなものもある。それらをすべて網羅しようとしたらいくら時間があっても足りない。


マウントをとってこようとする輩に悪く言われないようにと思ってマナーを気にしすぎると疲れ果ててしまう。お互いに気持ちよく過ごせるようにという目的で作られたマナーに縛られて居心地がわるくなるなんて本末転倒である。こうなるとマナーなんてくそくらえと思うようになってしまう。


マナーを知っているかどうかはその人の人生経験によるため個人差が大きい。あるマナーに詳しい人でも、他のマナーについては存在すら知らないこともある。座布団の上に立ってはいけないと言ってきたおばさんが平気で人を指さしたりするように。


大切なのはマナーを知っていることではない。他人を気づかえるかどうかである。マナーを知らないことを理由に人を非難する人がいるせいでマナーを身につけるのは自分を守るためという側面もあるが、マナーはあくまで他人のために守るものである。マナーが他人と気持ちよく過ごすためのものであることだけは忘れずにいたい。