大坂城へ行ってきた

大阪城といえば日本の歴史に何度も登場した舞台である。自分の中では真田丸のイメージが強い。真田丸真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で、徳川家康から大阪城を守るために築いた出城である。豊臣秀吉亡き後、天下統一の邪魔になる豊臣家をつぶそうとする徳川家と闘うために、真田信繁+豊臣家に仕えていた武将たちは大阪城の南に真田丸を作り上げた。そして徳川を見事に撃退したのだ。

 

しかし家康の策略で真田丸は取り壊されてしまい大阪城の外堀までもが埋められしまった。そのため大坂夏の陣で再び徳川家に攻められた時にはひとたまりもなかった。この戦で豊臣家は滅亡し大阪城は焼失してしまったといわれている。

 

その後、徳川家の2代目将軍である秀忠が大阪城を修復し建て直した。そうしてできた大阪城は、徳川家最後の将軍である慶喜が一時的に移り住んでいた場所でもある。鳥羽伏見の戦いで敗北した慶喜幕府軍大阪城から逃げ出し船で江戸に向かった。その後、幕府軍を追う新政府軍がやってきて混乱しているうちに出火し大阪城はまた焼失してしまった。

 

大阪城は過去に2回も焼けていたのである。焼けることに定評のある城だな。その後、大阪城は長いあいだ焼失したままであったが、1995~1997年の平成の大合併によって現在の鉄筋コンクリート建ての博物館として建て直された。鉄筋コンクリートということであまり趣はないが、さまざまな歴史の舞台になった場所はここかと思いを馳せることができる。今回はあまり時間をかけて見ることはできなかったが、次行くときは真田丸がどのような場所にあったのか、埋められた外堀はどこにあったのかなどじっくりと見てみたい。