広島城に行ってきた

2019年3月に広島城に行ってきた。広島城広島県の中心部にあるお城で、広島駅からも歩いて行けるほどの距離にある。平地にあるため天守閣に登るのに苦労するということもなかった。

 

黒っぽい外観から重厚なイメージを受ける広島城は1589~1599年の間に建てられた。今の広島城は再建されたものである。安土桃山から江戸時代の間に広島城が戦の場となることはなかったが、1874年に原子爆弾によって倒壊し1958年に外観と天守が復元された。

 

今では鉄筋コンクリートの五階建ての博物館として利用されている。広島城の周りには堀があり、そこを船で一周できるサービスもある。橋を渡って門をくぐると中は公園のように広々としていた。城は奥にある階段を少し上ったところに建っており入場料を払って中に入る。

 

城の展示というとつまらないイメージだったが、広島城の展示はかなり充実していた。特に刀が充実しており、刀と太刀では反りが違うという解説は興味深かった。刀は戦に使われる血なまぐさいものだが作品としてはとても魅力的だ。ガラスケースの中にある刃を見ていると、なんとなく引き込まれそうになる。刀にはまる人の気持ちがちょっとわかった。

 

五階からの景色はまあまあよい。天気が良かったため広島の街並みもよく見えた。ちょうどイベント期間中で夜のライトアップの準備のためか、白くて卵型の球体が石垣内のあちこちに転がっているのはシュールだった。

 

広島城を築城したのは、関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務めた毛利輝元である。西軍のリーダーといえば石田光成のイメージだが、総大将は毛利輝元だったらしい。毛利元就が祖父にあたる。

 

広島城の建築には豊臣秀吉の側近が深く関わっており、城を平たい湿地帯へ建てるのを勧めたのはその側近である。秀吉は広島城朝鮮出兵の前線である名護屋城佐賀県)と大阪城をつなぐ海路の中継地点、宿泊所として利用しようとしていたらしい。

 

広島城は戦のために建てられたわけではないから、山からも海からも離れた平地にあるのだ。秀吉が毛利氏を弱体化させるために防御力の低い平地に城を建てるように誘導した可能性もある。まあそのおかげで広島城が現代では交通アクセスのよい観光地になっているので結果オーライかもしれない。