斎藤一が新選組として最後に戦った会津若松城に行ってきた

会津若松城は現在の福島県にある。白い壁と赤瓦の屋根が特徴で、鶴ヶ城とも呼ばれている。会津若松城は1384年に葦名直盛によって築城され、1874年に廃城した。そして1965年に天守が再建されて今にいたる。

 

2011年にふき替えられた赤瓦の屋根は国内唯一だそうだ。伊達政宗上杉景勝加藤嘉明などが過去に入城したことがある。歴史的には幕末に旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争の激戦地として有名だ。約1か月の激しい攻防戦があり16、17歳の少年が自刃した白虎隊の悲劇があった地でもある。

 

戊辰戦争には新選組旧幕府軍として参加していた。斎藤一新選組会津藩の指揮下に入って白河口の戦い母成峠の戦いに参加し、敗戦により若松城下に退却した。その後、土方らは北へ転戦したが斎藤は会津に残った。斉藤一新選組結成時の恩を会津藩に感じていたため、最後まで会津で戦い続けたといわれている。

 

その後の歴史は幕末に詳しい人ならご存じだろう。斎藤一は某乙女ゲームではルートによっては会津で戦死したことになっていたが、史実では会津藩が降伏したあとに投降し、捕虜となって謹慎生活を送る。後に結婚して子どもを3人授かり、東京で警察として働き72歳まで生きた。

 

乙女ゲームはかなり史実に忠実にストーリーを作っているのに、斎藤一だけ史実と変えた理由は謎だ。キャラデザ的に儚いイメージがあったので、あえて変更したのかもしれない。史実の斎藤一新選組がなくなってからも生き続けるかなりたくましい人物だったようだ。

 

会津若松城では入り口から入ったらすぐに蔵があったこと、白虎隊の悲劇について詳しく書かれていたことが印象に残った。あと某乙女ゲームとのコラボ企画があったことに驚いた。ゲームでは母成峠の戦いで亡くなっている斉藤一と関わりの深い城なので、少し複雑な思いで見た。

 

ゲームをやっていたおかげで会津若松城の歴史について少し知っていたので楽しめた。また他の新選組にゆかりのある場所にも行ってみたい。

 

他に行った城 ↓

 

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