ボランティアと仕事の境界は曖昧だ

ボランティアには無償でする社会奉仕というイメージがある。しかしボランティアという言葉の元々の意味は自主的・自発的にする公共性の高い活動である。報酬をもらわずにする活動がボランティアというわけではないのだ。


例えば青年海外協力隊とかNPO法人の社員の活動は報酬ありだがボランティアである。青年海外協力隊は活動費と生活費の他に報酬がもらえるため貯金もできるとか。そんなに稼げるというわけではないが、自分一人の生活の心配ならしなくていいくらい。だからといって誰でもできるわけではない。青年海外協力隊NPO法人の社員も面接を受けて採用された人だけがなれるものである。


自主的にすることがボランティアなのに面接があるってどういうこと?と思うが、組織的に活動するとなったら誰でも何人でもウェルカムというふうにはできないのかもしれない。だがボランティアをやる立場からすれば面接されるというのは敷居が高い。ほぼ全員採用されるバイトの面接ですらかなりのストレスなのに。個人的には面接は就活のときだけにしてほしい。


報酬が少なめで公共性の高い活動をする人なら他にもいる。保育や介護の現場で働く人、トラック運転手などだ。社会に必要とされる仕事でありながら、低賃金での労働はボランティアのようなものではないのだろうか。それを子どもが好きだからとか必要とされているからとか自主的にしているならなおさらだ。


ボランティアと仕事ははっきりと区別できるものではないと思う。人の役に立つ仕事はいっぱいある。NPO法人ではなく株式会社でも社会貢献することが求められる。株式会社の社員が駅前の清掃活動をするのは仕事なのかボランティアなのか。サービス業や医療・福祉系の仕事はどこまでが報酬の代価でどこからがボランティアなのか。スマイル0円はボランティアじゃないのか。


自分はあるイベントのボランティアに参加したときに通行人のカウントをさせられたことがある。椅子に座って通行人が一人通ったらボタンを一回押す。それを朝から夕方まで昼休憩の時間以外はずっと続けるというもの。単純な作業だが気は抜けずかなりストレスがたまる。やっている間も早く帰りたいと思っていたが、後から同じイベントでスタンプラリーの係をして日給1万円もらったという人の話を聞き、二度とボランティアするもんかと思った。つまらない仕事をやらされた上に自分だけタダ働きは嫌だ。


以前、東京オリンピック2020のボランティアの参加条件が報酬なし宿泊費なし交通費なしというのが話題になっていた。自分はこんな条件ではボランティアは集まらないだろうと思っていたが、募集8万人に20万人もの応募があった。その後やりがい搾取だと批判があって交通費1日1000円は支払われることになったが、着替える場所がなく自宅からユニフォーム着用を指示されたり、ボランティアと同じような仕事内容で時給1400円のバイト募集があったりして選ばれた8万人から1万人が辞退したらしい。


ボランティアに応募するようなやる気のある人たちが辞退するのも当然だと思った。ボランティアは宿や交通手段を自分で手配してお金を払った上にタダ働きをしなければならないのに、すぐそばにお金をもらって似たような仕事をしている人がいるなんて、不公平さを感じずにはいられない。広告会社の社員や公務員はさらに高額な報酬をもらっているだろうし。自分は交通費が1000円に収まる近場に住んでいたとしても東京オリンピックのボランティアをやりたいとは1ミリも思わない。


そもそもオリンピックは商業目的なんだからスタッフが必要ならちゃんと報酬ありで労働者として雇うべきだと思う。1日5時間以上拘束されて指示された仕事をやることは自発的とはいえずボランティアではないのではないか。報酬をもらえるなら炎天下でプラカードを持って立ち続けるとかいう仕事でなければやってもいいと思う。だったら報酬があればどんな仕事でもやるのかといわれたらそうでもない。


報酬ありでもどれくらいもらえるかという問題もある。報酬があるからこそ責任を持ってできるという考えもあるが、報酬がどんなに少なくてもそう言えるだろうか。学生のとき時給800円のバイトでやる気が出ない日に最低限のことだけやってたら、お金もらってるんだからもっとちゃんとやれと言われてイラっとしたことがある。少ない報酬でやる気を求められても困る。じゃあ高い報酬をもらえれば確実に成果が出せるのかと言われたら微妙だがやる気は出る。


ボランティアでタダ働きだったら責任がないから気楽にできるというわけでもない。やっぱり指示されたことはある適度しっかりやろうと思うし途中で投げ出したりはしにくい。


自分は報酬ゼロのボランティアはない方がいいと思う。なぜなら報酬なしではよりよくしようという思いがなくなるからだ。十分な報酬をもらっていれば生活にも心にも余裕があるためもっとよくしようと活動できる。しかし報酬なしでは余裕がなくなるしどうしてもやってあげているという感覚になる。支援者からこうしてほしいと言われてもタダなんだから文句を言うなと言い返すだろう。ボランティアが働く場を奪ってしまうのも良くないと思う。


前の職場で給料をもらって仕事しているのに人から感謝された時はなんか申し訳ない気持ちもあったが、やっぱりうれしかった。報酬があるから感謝しなくていいというわけではないし、報酬がないから感謝するべきというわけでもない。報酬があるからこそできることも増えるしやる気もでる。報酬ありでお互いに助け合える活動が増えればいいと思った。