ボランティアをあんまりやりたくない理由

自分はボランティアをあんまりやりたくないと思っている。なぜかというとボランティアをする人と合わないから。ボランティアをしようという人はエネルギッシュな人が多い。初対面でも気さくに話しかけ、自分の意見をしっかり主張する。人見知りで自分の思ってることを隠そうとする自分とは真逆のタイプ。


だからいってボランティアをする人が嫌いなわけではない。ボランティアは偽善者のやることだという人もいるが、それのなにが悪いのか。ボランティアをする理由が自己満足でも、自分の評価を上げるためでもいいじゃないか。やったことがなにかの役に立っているならなんの問題もない。


見返りを期待する人が偽善者だというなら、相手の反応を見ずに一方通行で自分のやりたいことをやる人が本当の善人なのか。結果それが誰も望んでいないことであったとしても気にせずやり続ける人のほうが、誰かからの「ありがとう」を求めて活動する人より善い人だと言えるのか。


まあボランティアを受ける人の立場からすれば、何も言わなくても自分の望むことをしてほしいというのが本音だろうが。ボランティアをすることも受けることもない人にはなんの関係もないことだ。ボランティアをする人を偽善者だと批判するだけで何もしない人は残念だと思う。ちなみに自分はどんな理由があろうとボランティアをする人は称賛する。自分がボランティアをやる気はないが。


そんな自分も学生のときは何回かボランティアに参加したことがある。参加した理由は、教授や友人に誘われたからと暇だったから。就活のときにアピールする材料になるかもと期待していたが、書くスペースのない履歴書が多いし、書いていてもスルーされるしで結局就活には1ミリも役に立たなかった。それでも参加してよかったと思えるボランティアもある。二度と参加したくないボランティアもあるが。


ここからは学生のとき参加したボランティアを振り返ってみる。


◯東北の子どもたちが徳島で体験や観光をするプロジェクトの手伝い 

主に子どもたちの見守り役。ちょうど阿波踊りを踊っているタイミングで大雨になりシャワーを浴びたのかと聞かれるくらいずぶ濡れに。夏でよかった。


◯県マラソン大会の救護係

ゴール前に待機し参加者を見守る。ほとんどは足をつった人たちに冷却スプレーを吹きかけるくらい。ゴールしたとたんにふらつき倒れそうになる人を、さっと背中で支えた医療従事者はかっこよく見えた。担架に寝かされた参加者は2,3人。


◯小児糖尿病サマーキャンプの手伝い

キャンプで行う肝試しを企画する。3階建ての建物を丸ごと使えるということで、1階からスタートし3階のミッションをクリアして戻ってくるルートにした。途中の部屋や廊下に脅かし役を配置。予算を使えたので、100円ショップで提灯や黒猫のオブジェなど不気味に見えるものを購入。どうやったら怖いか真剣に考えながらいろいろ作るのは楽しかった。


◯アニメイベントで通行人のカウント

椅子に座って通行人が一人通ったらボタンを一回押す。それを朝から夕方まで昼休憩以外はずっと続ける。地味でつまらないし、ステージとかイベントの裏側を見れることもなく仕事のようでしんどかった。後から似たようなことをしてバイト料をもらった人の話を聞いて後悔した。


以上。参加したボランティアは全て単発である。参加してよかったと思ったのは小児糖尿病サマーキャンプのボランティア。二度と参加したくないと思ったのはアニメイベントのボランティア。


ボランティアだと自分のやることが曖昧なことが多い。子どもの付き添いとか周りをみて臨機応変に動くことを求められるのはしんどい。ゴミを拾うとかやることが明確に決められてたほうが楽である。とはいってもやりたくないことも。単純な作業をずっと続けるのはストレスが大きい。長時間拘束されるならなおさらだ。


はじめから何をするかということがわかっているボランティアならいいが、現地に行ってから詳細を知らされることも多い。その時にこんなことはやりたくないと思っても断りづらい。


お金がもらえるバイトでも、当日になったら行きたくないと思うことがあるのに。ボランティアに参加するなら、いつでも好きな時に好きなだけ活動できるというものにしたい。自分が本当にやりたいと思ってすることならタダ働きでもかまわない。


時間とお金と心の余裕ができたらまたボランティアをやってみてもいいかと思うが、それはだいぶ先になりそうだ。その時に自分が心からやりたいと思えるようなボランティアを見つけられたらいいと思う。