好きな作品とその作者は切り離して考えたほうがいいのかもしれない

魔法使いが出てくる児童文学を書いた某イギリスの作家がトランスジェンダーに差別的な発言をしたというニュースを見た。シリーズを全巻読んで映画も見に行ったくらいの思い出ある作品の作者だったので、ちょっとショックを受けてしまった。


この作者は作品に登場するキャラクターの裏設定を語ったりもしていることを検索して知った。この2人にくっついてほしかった、このキャラはシングルマザー家庭で育った、このキャラクターはゲイとか。


正直知りたくなかった。子どものときの思い出が汚されてしまったかのような気分だ。作品と作者は別ものだとわかってはいるが、作者のイメージで作品を見る目が変わってしまった。


これからこの作者の作品を読む時は、どんな思いで書いたのか裏を読もうとしてしまうだろう。純粋に作品を楽しんでいたあの頃にはもう戻れない。


変身少女ものの漫画を書いた某作者のコメントにもショックを受けたことがある。漫画の柱を読んでいるうちに、どんどん作品を楽しめなくなっていった。


漫画の柱とはページの左端にあるフリースペースのことである。少年漫画ではあまり見たことがないのだが、少女漫画では雑誌連載時の広告スペースの関係のためか柱をよく見る。1冊の単行本につき5, 6箇所あることも。


そこで作者は近況を報告したり、漫画への思いを語ったりする。このシーンを書くためにどこそこに取材に行ったとか、最近作者が個人的にはまっているものとか、当たり障りのないことを書く作者がほとんである。だがそこで自分語りをしていろいろとぶちまけてしまう人もいる。


某作者はえへ、うーん、だもんっ、ガーン、ふえ〜、くすん、ぷー、いやんっ、ひ〜っなどとが文章に定期的に混じっている。子どもっぽすぎる書き方に背筋がぞわぞわするのだが、そこはまだこういうタイプの人間もいるのだと受け入れられる。


他には、月刊だから週刊の雑誌より楽でいいですねというメッセージに対して、予告カットやふろくなどの忙しさを語る。このコマは絵が違って見えるけどアシスタントさんが描いたんですねに対して、なんて失礼な!キャラを描いてるのは全部自分です。などがある。


悪意のあるメッセージを送ってくる人が悪いとは思うのだが、それを漫画の柱でさらして感情的に批判するのはどうかと思う。作者に対して好感がもてないし、漫画の邪魔になる。だが作者は被害者であるので、ここまではまだ許せる。


このトビラ絵のおかげで私は日本重要H漫画家に指定されてしまいました。このキャラは私が縛ったのよ!。みんな最初はあんなに(キャラを)嫌ってたのに…フフフ。わざと主人公がときめいているかのように私が仕組んだのです!いやーみんなみごとに私の策にはまってくれてうれしいうれしい♡。主人公が私の内面にそっくり。主人公が裏切られた話でみんなびっくりした?びっくりした?いえ〜っい大・成・功!この二人の関係はイヤーンなものですが私にやおい好きのケはありません。など


これらは読んでいてかなり不快になった。話やキャラを生み出すのは作者なので、作者は漫画の中で神のような存在である。そのことを意識して漫画を読むことはないのだが、これらを見て物語もキャラも作者の思いどおりに操られているものなんだと実感した。なんだ漫画で自分を表現したいだけだったのか、と急に冷めた目でしか見れなくなった。


その作者をネット検索してTwitterでアシスタントと喧嘩したとか、自分のキャラクターを使って18禁同人誌を作って売ったとか、そんな評判も知った。作者の闇を知ってしまった、見るんじゃなかったと後悔する。


やはり作品と作者は切り離して考えたほうがよさそうだ。作品を楽しむために、作者のことはあまり検索しないようにしようと思った。