無職に対する風当たりが厳しすぎる

無職とはその名のとおり職業が無いことである。基本的には定職についてない人のことを指す。学生や定年退職している人はあまり無職とはいわれない。アルバイトやフリーター、フリーランスなどの細かい分類についてはおいておく。大多数の人がどこかに勤めて仕事をしているなかで、無職は少数派である。


ドラマ「俺の話は長い」の感想一覧を見て、世間の無職に対する風当たりの強さを感じた。このドラマの主人公みつるは無職の実家暮らしだ。大学を中退してコーヒー店を立ち上げたが経営がうまくいかず、店をたたんでから無職を6年続けている。


こんなみつるに対して「若いなら何でもできるだろう」「税金を払って国民の義務を果たせ」「母がいなくなってからどうにかしようも思っても世間はそんなに甘くはない」というコメントがみられた。


これは現実の無職に対する意見を反映しているかのようだった。もし、みつるが目の前に存在していたらコメントにあるような言葉をぶつけられるのだろう。フィクションのキャラクターにまでそんな厳しいことをいうなよと思ってしまったが。


そんな理由からか無職の人は自己評価が低いことが多い。無職は時間はあるが、遊ぶための金がないとネタにされていることもある。自分も無職でハローワークセミナーに通っていた時は、無職どうしでアンケートの職業欄に書くものがないなどと自虐ネタを言っていたくらいだ。


無職がだめだという人たちは、まじめに働いている人たちが多いのだろう。苦しい思いをして働いている人にとっては、無職は楽をしているように見えて許せないにちがいない。自分は無職がそんなによくないことだと思わないのは、そこまで苦しい思いをして働いた経験がないからだ。


無職でも家事や子育てをしている人、障害を持つ家族の世話をしている人などの中には、仕事よりもしんどい思いをしている人もいる。定職についている人だけが苦しんでいるわけではない。というか自分は無職のときのほうが精神的にしんどかった。


ドラマでみつるが母の知り合いからの中途採用の話を聞いた時に、面接人が無職を見下したことに腹を立てて相手を論破したシーンがあった。無職には無職を続けられる才能があるというセリフには説得力がある。確かに無職でい続けるには無職への風当たりに負けない心の強さが必要だし、誰かに養ってもらって生活できるのも才能の一つだ。


定職についているからといって上から目線で無職を批判していいわけでない。ただそうは言っても無職のイメージが悪いことに変わりはない。とんでもない無職の人もいるからだ。


自分は働かずお金のために妻に夜の仕事を薦める人とか、働かずに妻の収入に頼りきりで妻が亡くなってからは息子家族に金をせびりに来る人とか、病気の子どもは施設に預けっぱなしで子どもの障害年金を使って遊んで暮らす人とか。


そんな人たちののせいで無職への風当たりが強くなるのはつらいものだ。もっと無職に寛容な人が増えた方が過ごしやすい社会になるだろう。ただ寛容になりすぎると働く人が減ってしまい店やサービスが少なくなる可能性がある。


人間は楽な方に流れてしまいがちな生き物なので、働く意欲を持つためには、無職への世間からの風当たりはある程度強い方がいいのかもしれない。