「もったいない」は日本独特のことばらしいよ

ノーベル平和賞を受賞した女性エコロジストのワンガリ・マータイさんは日本の「もったいない」という言葉に強い感銘を受けて、「MOTTAINAI」を世界に通じる標準語にしようとしているときく。

 

なぜ自国の言葉ではなくわざわざ日本語の「もったいない」を広めるのかというと、諸外国には同じような意味の言葉がないからだという。

 

「もったいない」はもの本来の価値が十分に活かされず無駄に扱われているときに使う言葉だ。まだ食べられるものや使えるものを捨てる時に「もったいない」という。ちなみに自分は賞味期限が3日ほど過ぎた食パンを親が捨てようとする時によく「もったいない」という言葉を使う。

 

日本で「もったいない」という言葉が生まれたのは、他の国の人と比べて日本人がものを無駄にしないようにする意識が強かったからじゃないかと思う。世界にはいろいろな言語があるが、それを使う人々の関心の高い言葉が生まれるものだ。例えば日本語では弟と兄は別の言葉だが、英語ではどちらもbrotherと同じ言葉である。

 

日本人は年齢を意識することが多いので兄と弟という言葉が生まれた。同じように日本語に「もったいない」という言葉が生まれたのは日本人がものの力を最大限に活かすことを意識することが多かったからではないかと思う。

 

江戸時代はエコが徹底された時代だったらしい。町には鉄くずや糞尿を集める人がいて、ゴミと思われる壊れたものや排泄物でさえも捨てられることはなかった。昔はものが少なく貴重だったこともあるが、どんなものでも使い道を見つけるというのはすばらしい。

 

今は使えなくなったものはすぐに捨てられる。工業化が進んでモノが大量生産されるようになったため、モノが簡単に手に入り大切にする必要がなくなったからだ。古いものを修理して使うよりも新しいものを買った方がトータルコストが安いというのも理由の一つである。

 

このまえ自転車がパンクしたため修理に行ったらタイヤ交換を勧められて9000円ほど支払った。5年前に1万円前後で買った自転車であり、傷んだカゴやベルなど他の部品も付け替えるなら+4000円ほどかかるので新しいものを買い直した方がトータルコストは安い。

 

しかしゴミが増えると処理の問題がある。どうしても処理できないものは埋め立てるしかない。処理が難しいものはいろいろあるが、日常的によく使うのはプラスチック製品だ。

 

プラスチック製品は土に埋めても分解されることはなく何十年も残る。最近はプラスチックを分けてゴミに出すようになったからまた別のプラスチック製品として再利用されているのではないかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 

集められたプラスチックのゴミの多くは燃やされている。燃ーえろよ燃えろーよープラゴミ燃ーえーろーーーしてしまっているというわけだ。プラスチックを燃やすという発想はなかったので驚いた。

 

なぜプラスチックを燃やすのかというと、それが1番手っ取り早いからだ。プラスチック製品といってもプラスチックの種類はさまざまで、全てを再利用できるわけではない。また汚れがついていると洗浄してからでないとリサイクルできない。

 

そのため家庭から出されたプラスチックゴミの6割(2017年時点)は燃やされているそうだ。燃やすことによって生まれる熱エネルギーで電気や固形燃料を作っているので完全に無駄になっているわけではないが、まだプラスチックとして使えそうなものを燃やすのはもったいないと感じる。

 

プラスチックをプラスチックとして再利用するためにはプラスチックの種類を分ける必要がある。代表的なのがペットボトルだろう。ペットボトルは回収されて別のプラスチック製品になっている。

 

ただこれができるのはきれいなペットボトルに限る。小学校の時、授業で市のリサイクルセンターを見学に行った時のことは、臭いはきついしそこで働くおじさんはイライラしているしで最悪の思い出になっている。

 

ペットボトルに入っているものはジュースが多い。ジュースは飲むときはは甘くていい臭いだが、放置すると腐った臭いを出すようになる。それらが混ざりあった臭いはかなり強烈で気分が悪くなるほどだった。

 

おじさんは汚れたままペットボトルを出すことに対する不満だけを小学生の前でしゃべっていたと記憶している。授業で来ている小学生たちに向かって愚痴しか言わないのもどうかと思うが、毎日ゴミに囲まれて仕事をしていたためストレスが溜まっていたんだな、と今は納得している。燃やさずに再利用するプラスチック製品はきれいに洗ってゴミに出そうと思う。

 

最近プラスチック製品のゴミ問題でストローが話題になっていた。ストローを鼻に詰まらせて苦しむウミガメがいたり、海に流れ出して細かくなったプラスチックを魚が食べて死んでしまったり。

 

プラスチック製品はたくさんある中でなぜストローだけが取り上げられるのかというと、ストローは飲み物を飲むときについてくるが必ずいるものではないからだ。病気や怪我で起き上がれない時に横になったまま飲むのには便利なのだが、そうでなければコップから直接飲めばよい。

 

対策としてスタバやマクドナルドが飲み物にストローをつけなかったり、紙でできたストローが作られたりているらしい。まあ自分はここ最近全くストローを使った記憶がないので、ストロー以外の対策をしたほうが効果的だとは思っているが。学校の給食で毎回出てくる牛乳についているストローはもったいないと思う。

 

ストロー以外では自分はスーパーでよく弁当や惣菜を買うので、それが入っている容器を捨てるのがもったいないと感じる。最近の弁当の容器はかなり頑丈で洗浄すれば5回くらいは使いまわせそうな気がする。デザインも花とか色とかで鮮やかにしているので、一回使っただけで燃やすのはもったいない。

 

スーパーにはリサイクル回収ボックスがある。昔はスーパーで集めているのは食品トレイと牛乳パックとアルミ缶くらいだったが、最近は弁当や惣菜の容器を集めているところも増えている。ただ納豆や卵のパックは菌の関係で回収してないらしい。

 

それを知ってなるべく容器はスーパーに持っていこうと思った。せっかくきれいに洗って分別したプラスチックが燃やされてしまってはもったいない。

 

日本にはせっかく「もったいない」といういい言葉があるのだから、どんなモノでも「もったいない」が当てはまることがないか意識しながら生活し、モノ本来の価値を十分に活かせるように使っていきたいと思った。