ハンコ文化よさっさと滅びろ

このようなタイトルだとハンコが嫌いだと受け取るかもしれないが、自分はハンコが嫌いなのではない。むしろハンコを押すのは楽しいから好きなくらいだ。嫌いなのはハンコを強制する文化のほうである。


銀行印は口座を作るときに使ったハンコと同じものでないと、引き出し限度額の引き上げや口座振替などの手続きができない。もしそのハンコを紛失してしまったら、ネットや郵送で手続きすることができなくなるので銀行の開いている時間に窓口まで行って新しいハンコを登録し直さなければならない。


本人確認は免許証でやっているのでハンコが必要だとは思えないし、二重確認ならパスワードでもよいのでハンコである必要はない。口座は何十年も持ち続けることもあるので、その間にハンコを紛失したり劣化してきれいに押せなくなったりすることもある。本人確認として使われるのはハンコには荷が重いと思う。


労働時間をハンコで管理している職場もある。出勤したら紙のファイルに1日1回ハンコを押すのだ。タイムカードやパソコンの勤怠管理システムを使うのがあたりまえだと思っていたが、今だにこんな職場もある。もちろんハンコで労働時間の管理はできない。


ハンコ1個につき1日8時間の勤務をしたことになる。早退したら別の用紙に休んだ時間を書き課長にハンコをもらいに行く。残業したらまた別の用紙に残業時間を書き、宿直室にいる人にハンコをもらいに行く。どこまでいってもハンコにこだわるところに狂気を感じる。 


仕事をしたことを報告する書類にいちいちハンコが必要な職場もある。行政のやっている仕事は事業になるため事業報告書を作る必要がある。それなら事業ごとに1年で1枚報告書を作ればいいと思うのだが、1回ごとに1枚作っている職場があった。そのため、1時間ちょっとであっても1つ仕事をしたら事業報告書を作って上司のハンコをもらって回らなければならない。なんて無駄でストレスの溜まるスタンプラリーなんだ。


回覧物を回す時にもハンコを押している職場もある。そこでは回覧物の一つ一つにハンコを押してから次の人に回すのだ。しかもハンコを押す必要のある回覧物が異常に多い。放置していると机の上にファイルが積み重なって作業スペースがなくなってしまう。結果、まともに回覧物を読まずに懸命にハンコを押して次に回さざるをえない状態に。まさに労力の無駄使い。


窓口で手続きをする時にも市民がハンコを忘れてきたらハンコを押してからもう一度持ってきてくださいと伝えることになっている。本人が目の前にいて直筆のサインもしているのにハンコいる?お金を受け渡しする手続きでもないのに。自分が無駄だと思っていることを規則だというだけで市民に強制しなければならないのは苦痛以外のなにものでもない。


サインするのが面倒だから代わりにハンコを押すという使い方ならいいが、何がなんでもハンコを押さなければならないという慣習は滅びるべきだと思う。特に行政関係のハンコ至上主義はかなりひどい。ハンコ文化が話題になっているこの機会に見直してくれることを心から願う。