自分の評価は他人がすることかもしれないがそれに振り回される必要なんてない

社会人になると評価というものに振り回されることがよくある。社会人の評価は生活に影響を及ぼすからだ。


学生のときでも評価は気になるものだった。しかし学生は評価が悪かったとしても赤点さえとらなければあまり影響はない。


評価が悪いからといって学校生活が大きく変わることはないし、一般入試なら受験の時だけ筆記試験で点数が取れれば希望の進路に進めるからだ。推薦入試ならある程度は関係してくるが。


社会人は評価が悪いと担当する仕事や給料が変わり、生活にも影響を及ぼす。しかも社会人が評価される基準はさまざまで、学生の時のように学力や授業態度などわかりやすく自分の努力でどうにかなるものとは限らない。


会社員なら評価によって昇給や賞与が決まったり、異動や転勤をさせられたりする。ひどいときは退職に追い込まれることも。


会社員の評価をするのは主に上司、人間である。人間なので公正な判断などできるはずがない。人はなんとなく嫌いだというだけで簡単に悪い評価をするものである。


仕事がどんなにできるかどうかは関係ない。リーダーとして大きなプロジェクトを成功させたとか社内営業成績一位とか、誰から見てもわかりやすい成果を残している人は別かもしれないが。経理や総務、接客など成果が目に見えにくい仕事もたくさんある。


そんなときは上司に好かれているかどうかで評価が決まってしまう。クソみたいな話だがそれが現実である。はやくAI(人工知能)が評価する時代がきてほしいものだ。


評価が悪いとしてもそれが自分に不利益を与えないなら全く気にする必要はない。ボーナス額が数千円違うだけならまあ許容範囲だろう。


だがそれによって仕事がやりにくくなったり、生活を変えなくてはいけなくなるほど給料が下がったりするなら評価を気にせざるをえない。上司に好かれるため外面をよくするのも1つの戦略だ。むかつくやつは想像の中で叩きのめしながら、自分を守るために愛想よくするのが社会人の処世術である。


芸能人なら、好感度が高いかどうかで仕事が増えたり減ったりする。好感度の高い芸能人のほうがイベントで人を集められるし、テレビの視聴率も上げられることが多いからだ。暴力団と関わったり不倫したりした芸能人が表舞台から姿を消すことは珍しくない。


ブログが主な収入源の人なら他人からの評価が気になるところである。収入を増やすにはブログを好きになり継続して読んでくれる人が増えることが大切だからだ。あえて炎上させてPV数を稼ぐという技もあるが、一時的なことが多いのでおすすめはできない。


だが趣味で書いているなら自分のブログを悪く評価されようとされまいと、なんにも生活は変わらない。評価が悪いと落ち込み、良いとうれしくはなるが。所詮人は他人のことなんかどうでもいいと思っている。 


耳を傾けるのは本当に信頼できる人の言葉だけにして、その他の評価は右から左へ受け流せばいい。そうすれば今よりもずっと生きやすくなるはずだ。