清潔感の違いは文化の違い

清潔感がある人が好かれるというが、清潔感があるというのは具体的にこうだとはっきり言えるものではない。保健衛生学的に菌が少ない状態=清潔感があるではないからだ。ある人がなんとなく清潔だと感じている=清潔感があると言われているような気がする。


そんな清潔感であるが、国が変われば全く異なる。アメリカ人は家の中には土足で入るのがあたりまえである。中国人は他人が入ったあとのお風呂に入るのは不快だと感じるらしい。だがこれらにも個人差がある。アメリカ人でも家の中で靴を脱ぐ人もいれば、中国人でも温泉や銭湯など他人が入ったお風呂に平気で入る人もいる。


同じ日本人であっても、育ってきた家庭が違えば清潔感は異なる。入浴後に体を拭くバスタオルを毎日洗濯しないと許せない人がいれば、一週間に一回でいいという人もいる。バスタオルを一日洗濯しないと菌の数はかなり増えるらしい。だがバスタオルを毎日洗濯すると傷んで数か月でゴワゴワになってしまう。菌の数が増えても特に不都合がないなら菌と共生していきたい、そんな自分は一週間に一回派。


お風呂の足拭きマットを他の洗濯物といっしょに洗濯機に入れたくないという人がいれば、気にせず洗濯機に入れる人もいる。これは足拭きマットの汚れ具合によるだろう。泥がついていたりカビが生えかけているなら、服や手を拭くタオルなどと一緒に洗いたくはない。自分は足拭きマットは風呂から出た時に洗った足でしか踏まないし毎日干しているので、なにも考えず洗濯機に放り込む派だ。


外履きの靴を洗面所で洗う人がいればお風呂で洗う人もいる。顔を洗うところで犬のうんこを踏んだかもしれない靴を洗うのは許せないからお風呂で洗う人。全裸になる風呂で雑菌がついた靴を洗いたくないから洗面所で洗う人。この対立は根深い。保健衛生学的には洗面所も風呂場も下水道につながっていて菌の量は変わらないから、洗面台も風呂場の床も舐めることがないならどちらでもよいらしい。


などなど清潔感の違いは毎日の日常生活に影響を与える。二人でルームシェアをしても家事は別々にやるようにしていればそれほど気になることはないかもしれない。だが洗濯、掃除と家事分担を決めてやるならお互いの清潔感の違いが気になるだろう。毎日バスタオルを洗濯しなくていいと考えている人が洗濯の担当になると、もう一人は毎日洗濯してほしいなどの不満が出てくる。清潔感の違いは個人の文化の違いだと考えて受け入れ、お互いの清潔感を尊重できるように生活していけたらいいと思う。