あいさつをするのは100%自分のため

あなたはなぜあいさつをするのですか?という質問に、あいさつをすると自分も相手も気持ちよくなるからですなどというふわっとした理由を答える気はない。自分があいさつするのは平穏な生活を手に入れて静かに暮らしたいからである。そう考えるのは過去にちゃんとあいさつしていなかったせいで、以下のようなひどい目にあったことがあるからだ。


高校生のときなぜか自分の学年の教室の前の廊下を歩いている部活の先輩たちの集団を目撃し、驚いて何も言えず壁際で棒立ちしてしまう。先輩からの声掛けはなく自分の存在には気づいてないものだと思っていたら、放課後に先輩から呼び出され長々と説教される。


社会人になったばかりのころ職場であいさつをしていたが、目線を合わせておらずそんなに大きな声でも言ってなかったので伝わっていない人がいたらしい。あいさつを無視されたとか感じが悪いとか陰口を叩かれて退職に追い込まれる。


このようにあいさつがちゃんとできてないというだけでめちゃくちゃ叩かれることがある。怖すぎである。過去の自分はあいさつをしたら負けだと思っている、というような過激あいさつ反対派だったわけではない。小中学生のとき校門であいさつ運動をしていたので、なんとなくあいさつはしたほうがいいものなんだろうなくらいには思っていた。


だから家族や友人など親しい人には普通にあいさつしていた。だが他人には緊張してしまってうまくあいさつできなかった。たぶん自分がどう見られているかを気にしすぎていたからだろう。自分はあいさつしたのに返してくれなかったらイライラし、他人からあいさつされたら返さなければいけないというのがプレッシャーだった。だから他人には聞こえても聞こえなくてもいいやくらいの感じで雑にあいさつしていた。


だがそういう対して仲のよくない他人にこそしっかりあいさつするべきだったのだ。世の中にはあいさつができてないというだけで人間失格だと決めつけてマウントをとってくる人間もいる。特に学校や職場で毎日顔を合わせなければならない人にあいさつで隙を見せてはいけない。


あいさつをすることで私が今ここにいますということをアピールすることができる。横並びになって歩道を塞いでいる学生たちや、会社の廊下で談笑している人たちに、すみませんとかどいてくださいとか言わなくても、あいさつすると道を空けてもらえる。


某漫画のさとり世代のコンビニ店員は強盗や不審なお客様に対する先制攻撃としてあいさつを使っていた。あいさつをするということは、あなたのことを見ていますよというサインでもある。なんでもないときに相手をジロジロ見ていると不審に思われるが、あいさつしているあいだは相手をじっくり観察していても違和感がない。


このようにあいさつをちゃんとすると、自分の評価を下げて他者から理不尽な扱いを受けることを防ぐだけでなく他のメリットも得られる。守りの姿勢よりも、攻めの姿勢であいさつをしていきたい。