あなたにとっての常識は私にとっての非常識

最近、常識という言葉にイラッとくることが多い。常識ってなんなんだ。大多数の人が知っていることなら常識なのか。具体的には何%の人が知っていたら常識になるのか。


友人と旅行に行ったときのことである。バスに乗って自分は通路側に、友人は窓側に座っていた。目的地に着いたので前の人に着いて行ってバスを降りると後ろに着いてきていると思った友人がいない。外で待っていると友人は最後のほうに出てきた。うまく出るタイミングがつかめなかったのかと思い、じゃあ行こうと言った自分に友人が一言。「普通は先に出る人が通路の後ろに立って後から出る人のために道を作るもんだけどね」


カチンときた。そんな常識初めて知った。というかそれ絶対にやらないといけないことじゃないだろう。バスの外で待ってた自分がなぜそんなことを言われないといけないのか。自分だって窓際の席がいいのに酔いやすいというから譲ったのに。


確かに先に出る人がそういう気遣いをすれば確実に一緒にバスを降りられるが、悪いのは1人降りるわずかな時間も待たなかった後ろの席の人たちじゃないか。バスを降りるときは前の座席に座っている人から順番に降りていったほうがスムーズだから自分はいつも前の人が降りるまで待っている。


普通〜じゃなくて、〇〇してくれると嬉しいなという言い方だったらここまで腹は立たなかったと思う。普通は〜とか常識的に考えてとかいうフレーズは自分の優位性を保とうとしているような気がする。


自転車の盗難保険に入るのが常識だと強く言われたこともあるが、別に常識ではないだろう。店が利益を得るために必ず入るかどうかを聞いているだけだ。鍵をかけ忘れたときは使えない保険ならもっと意味がない。鍵をかけているなら太い金属棒を切るか、前輪のスポークを全部切らないと使えないから盗みづらいだろうし。


自分では普通とか常識とかいう言葉は使わないように気をつけているが、無意識のうちに使ってしまっていることがある。それだけ使いやすい言葉なのだろう。自分が普通とか当たり前だとと思っていることが他の人にはそうでないということもあることだけは覚えておきたい。